American Hardwood Furniture Design Seminar in Tokyo 2013
アメリカ広葉樹輸出協会は、11月7日(木)ホテルニューオータニ東京で「アメリカ広葉樹家具デザインセミナー〜ジョージ・ナカシマの世界〜」を開催しました。故ジョージ・ナカシマ氏の愛娘ミラ・ナカシマ氏が、木を愛し日本を愛した父、ジョージ・ナカシマの家具作りを彼の思いでと共に語って頂きました。

セミナーは米国大使館農産物貿易事務所所長のスティーブ・シュニッツラー氏の挨拶の後、アメリカ広葉樹輸出協会専務理事のマイケル・スノーより「木材の時代:持続性と環境的観点からの科学的考察」と題した講演がスタート。当協会が第三者機関を通して調査・研究を進めているLCA(ライフ・サイクル・アセスメント)をベースに具体的な科学的数値を示しながら、木は唯一再生する素材。


米国大使館農産物貿易事務所所長スティーブ・シュニッツラー氏

AHEC専務理事 マイケル・スノー

AHEC日本代表 辻隆洋
しかも伐採から加工し製品になるまでに排出した以上の二酸化炭素を吸収するカーボンネガティブな建築素材であること、また成熟した木を伐採することで周りの若木が日を浴びて成長し、二酸化炭素をより一層吸収するため、伐採して木を循環させることが環境に優しく自然を保護することになると説明しました。

ブラジルなどの熱帯雨林もその森に経済価値を見いだせないと農地や牧草地へと転換されるために森林が消えてゆく。豊かな森林を保持するためには森林がお金を生み出せるよう経営、伐採して木材をもっと使用することが大切だと強調しました。

講演第2部は、今回のキースピーカー、ミラ・ナカシマ氏が「Furniture Design of George Nakashima, Past and Present」の講演でした。


ミラ・ナカシマ氏

(株)桜製作所社長永見宏介氏
ジョージ・ナカシマ氏が林業学を学んだ後、著名な建築家と共に建築に携わり、家具デザイナーとして新たにスタートを切ろうとした頃、ミラさんが産まれました。それから50年近くナカシマの家具に触れながら、自身も早稲田大学で建築を学んだミラさんは1970年から家具のデザインを中心に20年の間父の下で働き、2004年からGeorge Nakashima, woodworker, S.A.の代表取締役を務めています。

御父様のジョージ・ナカシマはあまり多くを語らなかったようですが、木を愛し、彼に語りかけてくる木々の「静かな小さな声」に耳を傾けながら、人間生活の中で役に立つものに木を生まれ変わらせ、第二の人生を与えていました。

当初「ちぎり」を使って繋がれエッジをそのまま残した彼の作品は人々に理解されませんでしたが、可能な限りシンプルに誠実。装飾を控えて建築の技術を用い、木自身の持つ自然の色や形を生かしながら美しい「ちぎり」を嵌め込んだ家具は、徐々にその美しさが理解され今でも人々に愛され続けています。

日本との関わりも深く、彫刻家・流政之の招きで高松野工房にも訪れ、「ミングレン」シリーズの名前の由来となる職人グループ・讃岐民具連のメンバーになりとなり、(株)桜製作所にてデザイン協力と作品製作をしています。現在も彼の作品が日本で唯一この桜製作所で創り続けられています。

1990年にジョージ・ナカシマ氏が亡なられた以後は彼の意思が引き継ぎ、無垢板を使うオリジナルデザインを守りながらも、木工の基本技術を大切にして新しいデザインを開発しながら、この伝統を未来に繋げる努力をされているとのことでした。

沢山のスライドからは無垢板からの木取り作業、建築に携わるナカシマ氏の写真や彼が生み出した多くの素晴らしい家具、ニューホープの工房、ギャラリー、そして膨大な数の厚板がストックされた倉庫などなかなか見ることの出来ない貴重な写真を拝見することが出来ました。

最後の講演では、(株)桜製作所代表取締役社長の永見宏介氏が「森の恵み、自然の恵みを大切にすること。これらがあることで人間は生活することができる」と、東日本大震災の被害者が大切なものについて講演された時の内容をお話いただきました。

ジョージ・ナカシマもそうした自然を大切に、木を宝物として家具づくりをされた。桜製作所でもその意思を引き継ぎ、ジョージ・ナカシマの家具に心を込めて日本で作り続けるとの事でした。

100名を超える建築家やデザイナーや木材関係者がこのセミナーに参加し、多方面から木材を見直す良い機会になりました。セミナー後のレセプションでは参加者の多くの方々がミラさんのサインをもらう為に列が出来ていました。